インタビュー

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WEBマガジン B plus で紹介されました

2011年6月7日火曜日

6th pre BIKE

あのー、言いにくいのですが、読んだ方はリアクションを下さい。
ブログの右上に 英語ですが リアクションを入れるとこがあります。
私も英語、だめですがこの程度はわかるっしょ。very like の欄にチェックを入れて投稿ボタンを押せば良いんです。簡単でしょ!
まっコマーシャルはほれぐらいにして、今日は車の運転の仕方について。

私は、18歳~27歳くらいまで、峠小僧でした。峠小僧の中ではビビリのほうで、
一度もリアをPower スライドさせた事はありません。
車暦のはじまりは、YAMAHA 125 2シリンダー 2 cycle の実用車 家にあったやつでした。
それまでどっちかというと秀才typeで、違法行為とは無縁でしたが、よほど会っていたらしく、全開出きる所はとにかく前回という乗り方をしてました。以降数年は BIKE のおかげで生きていけてました。
峠小僧の時代はともかく、結婚して子供が生まれてもまだそうで、あるBIKE に乗って1年位すると違うのに乗りたくなり、それが贅沢だとわかるものだから、元気が無くなり、毎日 sigh するんですね。家人はそれを sigh operation と呼んでましたが、わざとではないんです。
で、最初のYAMAHA 125 を事故してつぶし、(top bridge が千切れ、全長が相当短くなりました)でも何故だか次のBIKEをオヤジがすぐに買ってくれたんです。勉強道具等は、一番良いのを買え、といってお金をくれるようなオヤジでしたが、事故した後のBIKE 選びは当の本人も 良いのかな~ って感じでした。で、初めて自分で選んで買ったのが DT125 YAMAHA のfirst mono shok off road でした。

懐かしいな~。ちょっとウルッときてます。max 110km 位だったような・・・。気に入ると整備したくなり、あちこちいじると、良く考えられていて、グリスアップのためにpin を
ぬかなければいけないところには、pin rireas 用の穴がちゃんとあって、glomet でふさいである、そんな良いBIKE でした。一度、福島から大阪の叔父のところへ行ったときがあります。電車の切符が取れず、予約しない電車なんて考えられない子だったので、親に黙って新潟経由で出ちゃったんです。絶対戻されたくなかったので、新潟のyh に宿を取ってから実家に電話しました。
もう寝ます、続きはまた、そのうちに。

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