インタビュー

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WEBマガジン B plus で紹介されました

2012年8月3日金曜日

12/8/4 Designer 由良拓也

前に Designer シリーズを書いた時に、何故この人の事を書かなかったかと反省しています。

一番有名なのは、富士のGCレースがモノポストスポーツカーで争われていた頃よりちょっと前の、紫電77です。
1977 紫電77

綺麗で有名ですが、戦績は大したことがなく、「ゆらたく屋」でもご本人が何が悪かったのか解らないままで終わってしまったと言っています。
1977 紫電77改

流麗なリアウィングステーを取ってウィングを独立させたり、Fに醜い口を開けたりしましたが、パッとしなかったそうです。

この紫電77の原型(イメージ上の)になったと思われるのが、GRD S74です。
1974 GRD S74

私はこれと、紫電77のイメージが完全にダブっていて、今回ググって年代もメーカーも違うってことが初めて明瞭になりました。
こっちは、生沢徹が持ってきたやつで、GRDはイギリスのコンストラクター、由良氏もモディファイを手伝ったりしたそうです。当時は、富士GCの最高速を誇った優秀な車体でした。

1981 MCS これはMAZDAのロータリーを積んでます

由良氏が名実ともに活躍し始めたのは、富士GCがモノポストスポーツカーだった頃で、マーチ等のF2シャーシにムーンクラフト製のカウルが定番になった頃です。

ムーンクラフトは由良氏の会社(1975設立)で、メインはレーシングカウルの製造ですが、市販車のモディファイパーツの設計製造や、最近では iPhone のアルミ削り出しケース等も作っていて、Designer 由良がやりたい事をやっているように見えます。
iPhone 削り出しケース


モノポストGCの時代(1979-1986)は、カウルと言えば由良ってくらいで、「由良は風が見える」と言われていたそうです。初期は風洞も無しで設計していたはずで、経験が感覚を磨いたんでしょうね。
1984年頃からは、大分風洞実験も取り入れたそうです。

紫電

最近の作品は写真の「紫電」です。
Wikiによると、公道での究極のパフォーマンスカーとして作り、現在はプロモーションを兼ねてレーサーとして、2006から SUPER GT のGT300 クラスに参戦している。

時々TVでSUPER GT を見てましたが、なんで セカンドクラスに本格的レーシングカーが走っているのか(そして何で勝てないのか)、と疑問には思ってました。

こんなにやりたい事をやって、戦績も上げて、会社も立派に経営している。羨ましい人生だなー。
あっと、会社概要を見たら、風洞実験施設のレンタル業という項目が有りました。実物大。

紫電の実験風景

自社で持ってるの〜〜〜!! 信じられない。自社製作だそうです。作ちゃうんだ。




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