インタビュー

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WEBマガジン B plus で紹介されました

2011年7月31日日曜日

19th BIKE 1

今度こそBIKEの話をします。

DT125はよく出来た、面倒見のいいやつって感じでした。
これで、OFFROAD の真似事もしたし、トライアルの真似事もしたし、
勿論ONROAD だって全開で走ってました。
4年乗って社会人に為りました。

今度は自分で買えるので、当時もう次のモデルが出てたんですが、
お金も無かったし、RZ250 の新古車を月賦で買いました。

これが私の先生でした。
週末、箱根に雪でも降らない限りずっと通ってました。
当時は瀬谷の社員寮に住んでましたので、箱根まで高速を
使わずに行くと、2hr弱でしたか。
西湘バイパスは最高速チャレンジの定番地と化してました。


何かの理由で、一ヶ月ぶりくらいになったりすると、気合が入りすぎちゃって、
怖い思いをし、芦ノ湖を見ながら手の震えが止まらないまま、
タバコを吸ってるシーンを思い出します。

こいつには5年乗りました。
この頃、今思うと乗り方は下手でした。

学生時代、DT125の時代でしたが、菅生サーキットでオフィシャルのアルバイトを
してたのでレースを見る機会が多く、そこでの125ccクラスのヘアピンの侵入が
綺麗で真似てたんです。
125ccはパワーが無いので特殊な乗り方をしてて、ヘアピンのような低速コーナー
でも極力ハンドルを切らずに乗ろうとしてたように思います。ハンドルでなく
バンクだけで曲る感じ、常にBIKEと一体感があり、綺麗に見えました。
切ると抵抗になって、スピードを落とすからでしょうか?


これを美しいと感じ、真似てたんです。
後から RIDERS CLUB という今では大御所感のあるBIKE雑誌が乗り方の特集を
するようになって理屈を知りましたが、この頃は上記のように乗ってたので、
低速コーナーで明らかに人より遅く、何でだか判らなかったです。

これは単純にBIKEが設定された乗り方に逆らってたからで、
BIKEはコーナーの侵入(具体的にはブレーキリリースからバンクして行く時)には
自然にハンドルが切れるようになってて、そのままBIKEのなりたいように
ハンドルから力を抜き、切れるに任せるのです。
それを、明らかに切れるのを止めてましたから、向きが変わらなかったのです。

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